遊牧民がもたらした人類史の画期と、ユーラシア国家の伝統
チンギス家の「血の権威」は、帝国解体後も受け継がれた
チンギス・カンが創始した空前の大帝国、「大モンゴル国」。
その権威と統治システムは、ポスト・モンゴル時代にも各地に継承されていった――。
西欧中心の「知の虚構」を廃し、新たな世界史の地平を開く。
■遊牧民が打ち立てた超広域帝国。「日本発信」の新たな世界史像
13世紀初頭にチンギス・カンが興した「大モンゴル国」は、5代・クビライの頃にはユーラシア全域をゆるやかに統合して、東西の大交流をもたらしました。この大帝国は、従来は「元朝」と呼ばれ、中国史やアジア史の枠でのみ語られがちでした。しかし近年、この大帝国の時代――すなわち「モンゴル時代」を、世界史の重大な画期とみなす考え方が、「日本発信の世界史像」として、内外に広まりつつあります。人類の歴史は、「モンゴル時代」の以前と以後でまったく様相が異なるというのです。
■モンゴル時代とは――「世界史」と「世界地図」が生まれた時代だった!
かつて学校では、――15・16世紀のヨーロッパによる「地理上の発見=大航海時代」から、世界はひとつになり、「世界史」が始まった――こんなふうに教わりませんでしたか? しかし、それに先立つ13・14世紀のモンゴル帝国下で、人類最初の「世界史」と「世界地図」が描かれていました。確実な史料と最新研究をもとに、近代ヨーロッパが覇権を握る以前の「世界の実像」を明らかにします。
■中東、ロシア、ヨーロッパ、そして現在のアフガン。「モンゴル以後」の世界史の見取り図
帝国解体後も、「モンゴルの残影」は20世紀にいたるまで各地に息づいていました。ロシアのイヴァン雷帝も、後のムガル帝国へと続くティムール帝国も、また、大清帝国も、「チンギス家の婿どの」の地位を得ることで、その権威と権力を固めてきたのです。そして今なお混迷のなかにあるアフガニスタンを、「遊牧民とユーラシア国家」の歴史を通してみると、何が見えてくるのでしょうか?
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