東洋的無という名称は、かくよばれるものが古来西洋においては稀なる東洋独特なものであり、しかも特に東洋的といわれ得るものの根本契機となるもので、それ自体はもっとも旧稿に属する「賓主未分」より、もっとも新しき「東洋的に形而上的なるもの」に至るまで、一貫してそれらの底を流れているものである。禅に関する諸稿はもとより一般宗教哲学や西洋哲学に関するものも、それらを縁じてこの東洋的無を闡明(せんめい)しようとしたものである。