日本の子守り唄はなぜ暗いのか。重く湿った匂いはどこから来るのか。近代の闇の底から聴こえてくる、数も知れぬ守り子たちの呟きの唄を解読し、忘れられた精神史の風景を掘り起こす。
守り子の父は山から山へ――おどんがお父っぁんな、あん山ぁおらす、と歌われた。山中の出作り小屋で焼畑耕作にしたがうナゴ百姓の父を偲んだ唄と解することは、そこではまだ可能だ。しかし、おどんがお父っぁんな、山から山へ、里の祭にゃ、縁がない、と歌われたときには、もはやそうした解釈では届かない。山から山へ、という歌詞の意味は、焼畑農耕と関連づけることではまったく了解しがたい。里の祭りや宮座には縁がない、という歌詞と重ね合わせにしてみるとき、ゆるやかに浮上し像を結んでくるのは、村の秩序のそとを漂泊・遍歴してゆく人々=ナガレモンたちの姿である。焼畑をするナゴ百姓たちは、山から山へと渡り歩くことはない。ナゴの娘がみずからの父について、山から山へ、また、里の祭りには縁がない、と歌うことはありえない。――本書より
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