生きたことば、光ることばとはどういうものか。詩人のことばはどこが違うのだろうか。自らの修業時代をたどり、ことば感覚の体得法を伝授。
志村先生――私が書いたのはほとんど語呂合わせである。「石がころころコロッケ食ったらお腹が空いた/井の頭公園の鯉が餌をえさえさ食べて下痢をした/……」シャレ帖に毛が生えたような文章ばかりだった。そんな文章のどこがいいのか、志村先生は必ずみんなの前で読み上げるのだ。最初は「その手には乗らないぞ」と気を引き締めていた私も、回が重なるうちにだんだんいい気持ちになってきた。通信簿の成績は体育を除いてオール2、もちろん国語も2で、本だってマンガしか読まなかった私が、文章を書くことにちょっぴり自信を持ったわけだ。その機を逃さず、志村先生は「今度は班ノートに詩を書いてみろ」と言ったのである。「お前なら書ける。いつもあんなおもしろい文章を書くんだから」とも言うのである。おだてに弱い私は、信頼する志村先生のこの一言に舞い上がって、次週の班ノートにさっそく詩を書いた。「店番」という題の詩だった。――本書より
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