日本人にとって、俳句は親しく固有な文学表現である。どこほど多くの人が、めぐりくる四季の気配や、日々の歓び・哀しみを、この五七五のしらべに托してきたことか。俳句のたのしさは、まず、自分で作るたのしさにある。句眼の据え方にはじまり、手垢のつかないことばの創造、一句の完成にいたる、凝視と単純化のプロセスをくわしく手ほどきし、〈真相〉〈象徴〉〈しらべ〉〈破調と定型〉〈字余り〉〈季感〉〈写生〉などの句作の要点を、200に及ぶ秀句から解き明かした、魅力あふれる“読む俳句教室”。
句の姿の完成――高嶺星蚕飼の村は寝しづまり 水原秋櫻子 人の多い平地や都会よりも高いところに、養蚕にいそしむ村があります。村人は夜更けまで働き、それが終わってやっと静かになったというのでしょう。この句は上五の「高嶺星」ということばで完成したと思います。たとえば“星の下”であっては、村の位置が分かりません。「高嶺星」といったために、村が周囲を山にかこまれた盆地であることがあきらかになりました。茫漠としてさえぎるもののない平野の星であれば、むしろ騒がしいような活気が感じられましょう。が、見上げる天頂だけに星があり、あとは山々だけという情景が「高嶺星」で、この語が地形を暗示するばかりか、人里を遠く離れた奥深い、静かな山国であることを感じさせます。けっきょく、この作品は「寝しづまり」の静寂をいおうとしているわけで、それが「高嶺星」の一語を選んだことでみごとに完成されたのです。――本文より
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