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問題としての神

神とは何か? 哲学、現代思想、スコラ学、近代経験主義、神秘主義、人間中心主義、形而上学などのさまざまな視点から、検討する。

【目次より】
「長崎純心レクチャーズ」について  片岡千鶴子
まえがき
第一日 経験と神
はじめに 神は「問題」となりうるか
哲学と神
現代思想と神
「反哲学」
「少数派」の見解?
「経験」と「存在」
神を問題とすることへの異論
「神について考える暇はない」
スコラ学的「討論」
異論
「反対異論」
「神の死」
「神の死」は自明のことであるか
哲学と神学の分離?
「神の死」をひきおこしたもの
近代は人間を解放したのか?
「経験」の意味
「存在」の意味
経験と「経験主義」
経験の「経験的」理解
「開かれた」経験
質疑応答
第二日 神と存在
「存在」の捉えにくさ
経験は神の探求を排除しない
神の探求と存在論
「否定神学」
「神秘主義」
「不可知」と「測り尽くしえない」
「人間中心主義」
「存在」をめぐる通念的理解
「存在忘却」
「存在」にたいする問い
「存在」への問いと「人間的」思考
「西洋的」思考?
人間の認識における「神的」要素
神的創造の視点
形而上学と偶像礼拝
「存在の類比」の問題
「存在」と「愛」 ペルソナの存在論
質疑応答
第三日 理性と信仰
はじめに 理性と信仰の問題
自由 真理 信仰
「哲学者の神」
パスカルと「哲学者の神」
デカルトと「哲学者の神」
パスカルにおける理性と信仰
理性と信仰 総合の試みとその破綻
トマスにおける理性と信仰の総合
「学」としての神学の問題
「存在」の神と「愛」の神
『神学大全』の構造
近代における理性と信仰との分離
回勅「信仰と理性」
神を「問題」にすることは可能か
神を「問題」にすることは人間にとってふさわしいことか
「神のかたどり」としての人間
質疑応答
資料
第一日
第二日
第三日

あとがき