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超越に貫かれた人間

第6回長崎純心レクチャーズとして2002年に行った3日間の講演を再現。イエズス会神父であり卓越した哲学者であるリーゼンフーバー教授が、神学者、神秘思想家らとの対話を通じて導かれた「超越に貫かれた人間」の真実を語る。
人間は不可避的に問う存在である。自分自身の存在、根拠、意義を問うとともに世界の真理、意義、幸福をも探究する。人間の問いそのもののうちには、無制約的なもの、すなわち超越への開きが含まれているのである。知ることはなぜ可能か。人間はいったい何を経験するのか。この追究をとおして宗教性が人間の本質に深く根づいていることを確認し、人間と超越との関係を、超越に関わられ貫かれる人間という受動的観点から解明、さらに宗教的行為の基本構造へと考察を進め人間の存在と使命を浮き彫りにする。西洋中世哲学研究者として知られる著者が、長年の研究と思索の間に親しんだ哲学者、神学者、神秘思想家との対話にもとづき、磨かれた言語で宗教哲学の根本的考え方を明解にとく講演。
【目次】
「長崎純心レクチャーズ」について 片岡千鶴子
序言 稲垣良典
第一日 人間存在に見られる無制約性 未規定性と尊厳の間に
一 全体の問題提起
1 問題としての超越理解 2 人間からの出発
二 人間の予備概念
1 欠如性・未規定性と理性 2 個人の尊厳における無制約的なもの
三 超越への問いの精神論的可能根拠
1 自己意識と存在認識 2 像としての人間
四 精神における超越への本質的な関わり
1 問い 2 知識の要としての真理
第二日 超越経験の根本理解と諸形態 日常を意義づける無制約的なもの
一 精神的経験
1 経験の哲学的概念 2 感覚的経験と精神の経験 3 説明と理解 4 純粋な完全性の経験
二 聖書的信仰の地平のなかに見られる超越経験
1 神経験と神認識 2 感覚と存在把握 3 感覚を通して描かれる神経験 4 超越との関わりを示すいくつかのトポス
三 日常における潜在的超越経験
1 意義の発見 2 現実の承認 3 芸術的創造性における賛美 4 導きに対する信頼 5 責任における対面 6 当為の定言制 7 時間の贈り物と可能性における呼びかけ
四 意義の経験と神との出会い
第三日 宗教的行為の成立 自己実現としての脱自
一 宗教的行為の構造
1 人格的行為 2 無力と、超越による根拠づけ 3 受容と自発性 4 離脱と脱自 5 無制限の肯定と自己譲渡 6 合一と対話性 7 日常性と究極性 8 個人性と共同性
二 根本的宗教的行為の諸形態
1 言葉としての現実と神現としての根源語 2 超越への傾聴 3 黙想 4 祈り 5 信仰
あとがき