「反歴史論」既刊・関連作品一覧
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「証言」の真偽という問題は、今も世間の感情を刺激し、「歴史」をめぐる激しい闘争を生み出し続けている。誰一人として歴史から逃れることができない人間が、歴史の支配から自由になることはできるのか。数々の著作を送り出してきた著者が、哲学、文学、映画、精神分析、民俗学など、多彩な分野を縦横無尽に駆け抜けながら、繊細かつ大胆に思考する。今こそ読まれるべき名著が、書き下ろしの新稿を加えて、学術文庫に登場。
「従軍慰安婦」報道をめぐって生じた「『朝日新聞』問題」に見られるとおり、今も「歴史」や「歴史観」は世間に強い感情を呼び起こし、激しい闘争の原因になっている。文化も文明も技術も、制度も慣習も言語も、今あるものはすべて過去に作られた歴史の産物であり、歴史から完全に逃れて考え、生きられる人など一人もいない。
本書は、この歴史による支配がいかにして起きるのかを解明し、歴史から自由になることはできなくても、歴史の支配から自由になる可能性はあることを示そうとするものである。
「従軍慰安婦」問題にも明らかなように、いつからか歴史は「記憶」の問題として考えられるようになった。当事者の「証言」の真偽が問われるのはそのためだが、これは歴史の支配から自由になろうとする運動だったと著者は言う。「歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきた」。国や社会によって決められたのではない歴史を生み出すために個人の記憶が重視されたが、その結果、国や社会に記憶の真偽をめぐる闘争が、つまりは歴史をめぐる新たな闘争が生み出されたのは、何とも皮肉なことである。
「古典とは、この言葉の歴史からみても、反歴史的概念である」という小林秀雄の言葉を出発点にする本書は、歴史を軽々と超える古典作品を生み出した人間が、歴史に翻弄される存在でもある、という二重の事実を繊細かつ大胆に思考していく。ニーチェ、シャルル・ペギー、ジャン・ジュネ、レヴィ=ストロースといった多彩な作家を取り上げ、哲学、文学、映画、精神分析、民俗学を横断しながら展望されるのは、真に歴史の支配から逃れて考え、生きる可能性にほかならない。戦後70年を迎える今、好評を得た名著が書き下ろしの新稿を加えて、ついに学術文庫に登場。