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ガロアの群論

ガロア群を見れば、すべてが判る!

悲劇の天才ガロアは、どのように考えたのか
2次方程式の解の公式は、バビロニアですでに知られていた。
3次方程式の解の公式は、カルダノ(タルターリャ)が発見した。
4次方程式の解の公式は、フェラーリが作った。
5次以上は解の公式が作れないことを、アーベルが証明した。
しかし、5次以上でも解ける方程式はいくらでもある。なぜなのだろう?20歳の若さで死んでしまったガロアが、それを明らかにした。

ガロアは、1811年パリ郊外のブール・ラ・レーヌに生まれた。12歳になり、パリのルイ・ル・グラン校に入学すると、そこで数学の才能を見せるようになる。特にルイ・ル・グラン校の高等数学のリシャール先生に、大きな影響を受けた。17歳の時、憧れのエコール・ポリテクニークを受験し失敗するが、はやくも18歳で最初の論文をパリ科学学士院に提出する。しかし、この論文はコーシーが紛失し、行方不明になってしまう。1832年5月30日の決闘の前夜、ガロアは親友シュヴァリエへの8ページの手紙に、彼の代数方程式の解の研究を書き遺した。