遊廓街・吉原で育ち、小さな貸本屋を開業……。やがて歌麿、北斎、写楽、曲亭馬琴、十返舎一九らを発掘し超人気作家に育て上げる。文化の担い手を「武士や豪商」などの富裕層から「庶民」へとひっくり返し、幕府による弾圧にも「笑い」で対抗。江戸庶民は彼を「蔦(つた)重(じゅう)」と呼び、喝采を浴びせた。その鋭敏な感性、書き手を虜にする人間性、したたかな反骨精神を描く蔦重本の決定版!
江戸を文化的に豊かにしただけでなく、今のポップカルチャーの基礎をつくった人だと思っています。
―――NHK大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』主演・横浜流星(日刊ゲンダイ2025年新春特別号インタビューより)
〈寛政の改革の嵐は蔦重の家財半分をさらう、そのときお江戸は---〉
日本橋と吉原の耕書堂は雨戸を固く閉ざしている。大戸には「負けるな」「一日も早い再開を」「戯家(たわけ)の灯を消すな」と励ましの落書の数々。雨風が叩きつけても消えそうにない。
本屋の裏口、長身の老人が身を滑らせるように入っていく。叔父の利兵衛だ。
「お前という子は幼い頃から偉そうな御仁が大嫌い」
初志貫徹は立派なこと。ヘンな褒め方をしてから叔父は真顔になった。
「奉公人や彫師、摺師に迷惑をかけられない。銭なら融通するからいっておくれ」
蔦重、ゆっくり首を振る。横のとせが背筋を伸ばした。
「お舅(とう)とうさん心配をおかけします。でも、あたしの蓄えが少々」
夫婦が見交わす眼と眼、舅(しゅうと)は頼もしそうにいった。
「ずいぶんと綜(へ)麻(そ)繰(く)ったもんだ。さすがはおとせ、感心感心」
叔父は店の落書のことをひとくさり。そして重三郎、とせを見据えた。
「こんなことで負けちゃいけない。戯家の本屋が変じて反骨の本屋。江戸の期待は大きいよ」
(第七章「不惑」より)
出版王の反骨精神はいかにして生まれ、散っていったのか。生き別れた両親、花魁への初恋、波乱万丈の人生を支えた妻・とせによる内助の功など、稀代の本屋の知られざる一面を描き出す感動の長編小説。
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