夏の終わり、僕は裏山で「セミ」に出逢った。木の上で首にロープを巻き、自殺しようとしていた少女。彼女は、それでもとても美しかった。陽炎のように儚い1週間の中で、僕は彼女に恋をする。あれから13年……。僕は彼女の思い出をたどっている。「殺人」の罪を背負い、留置場の中で――。誰もが持つ、切なくも愛おしい記憶が鮮やかに蘇る。(講談社文庫)
夏の終わり、僕は裏山で「セミ」に出逢った。木の上で首にロープを巻き、自殺しようとしていた少女。彼女は、それでもとても美しかった。陽炎のように儚い1週間の中で、僕は彼女に恋をする。
あれから13年……。僕は彼女の思い出をたどっている。「殺人」の罪を背負い、留置場の中で――。誰もが持つ、切なくも愛おしい記憶が鮮やかに蘇る。
――「プールの底から何が見える?」という好奇心から石川県へ。金沢21世紀美術館に「スイミング・プール」という体験型の作品があります。一見したところ普通のプールに見えるのですが、強化ガラスの上に約十センチの深さの水が張られているだけで、なんと、ガラスの下には部屋があるのです。
その部屋から水面を見上げると、上のプールサイドでこちらを覗き込んでいる揺らめく人影が見えます。水面の揺らぎに反射した日の光が溢れるプールの底で、この小説のイメージが湧きました。泳げない高校生のお話がふと。と言うのも、私が全く泳げないからです。猫と同じくらい水が苦手。
だからプールにはコンプレックスがあります。学校の水泳大会で泳げない生徒三人だけのビート板レースがあり、それは苦い思い出の一つ。プール・コンプレックスから小説が一つでき上がったからって、都合よく思い出が美化されません。今でも苦いまま。
そんな鬱積した気持ちが生んだ小説を読者がどう読むかは自由です。好きなように読んでください。ただ、ご存知のように小説はフィクションなので、作中にある迷惑行為を現実ですると、こっぴどく怒られます。そして回り回って私も怒られてしまうので、ご遠慮くださいませ。 (ノベルス新刊刊行時著者コメント)
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