直木賞受賞作、中島京子『小さいおうち』で描かれる昭和初期、家庭では雑誌が娯楽の中心だった頃、若きも老いも連載を心まちにしていた作家が、佐々木邦。夏目漱石とまた違った意味での、日本におけるユーモア作家のパイオニア。その佐々木邦が没して、今年で50年。戦前のベストセラー作家は、英語に通じ、大学で教壇に立ち、マーク・トゥエインを愛し良作を書きまくった。邦の孫が秘蔵の資料から描く。
中島京子『小さいおうち』は、直木賞を受賞し、映画化されればベルリン映画祭で主演女優賞をとった快作である。そこに描かれる昭和初期、家庭では雑誌が娯楽の中心だった頃、若きも老いも連載を心まちにしていた作家が、佐々木邦。
夏目漱石とまた違った意味での、日本におけるユーモア作家のパイオニアだった。
本年は『少年倶楽部』が創刊されてから百年にあたる。同誌の看板作家として、そして講談社の全雑誌に連載をもち、かつ講談社がはじめて出した個人全集も彼だった。
人気を博した邦を回顧する作家は多い。丸谷才一は、亡くなる直前に連載をはじめたエッセイ「男の小説」(『オール読物』)の第1回 で、邦を取り上げ、「ユーモア小説の第一人者。探偵小説における江戸川乱歩のやうな存在」と書いたし、池波正太郎は、「佐々木邦の小説によって、子供の私たちは第一級のユーモア感覚を養われた」と評した。哲学者の鶴見俊輔も、「長谷川町子の作品は、昭和前期の佐々木邦のユーモア小説の作品をつぐもの」とサザエさんを分析している。
その佐々木邦が没して、今年で50年。戦前のベストセラー作家は、英語に通じ、大学で教壇に立ち、マーク・トゥエインを愛した。創作の基本は秀でた英語力と欧米からの知識。それには父親の影響が大きかった。父・林蔵は、沼津の大工。ひょんなことから明治憲法発布前に建てられた、初代の国会議事堂建設の職工養成員に選ばれ、明治の半ばドイツへ三年間の修行の旅に出る。森鴎外が滞在していたときに重なる。そんなことから佐々木家には洋風の血が流れはじめたのか。
邦の孫、林蔵の曾孫の著者が、秘蔵の資料から忘れられた流行作家の足跡をたどる。
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