2009年、長野五輪以降のアイスホッケー界を一人で支えてきた男が、日光にある弱小、経営難の「アイスバックス」に移籍してきた。親友である監督・村井忠寛から請われたからだった。やがて、フロントにスポーツビジネスに明るい日置貴之がやってきて改革に乗り出す。アイスホッケーをビジネスと捉える日置と、ホッケー界のスパースター鈴木貴人の奮闘によってチームは少しずつ再生へのステップを登っていく。そして奇跡が起きる
いまから4年前、2009年夏、一人のアイスホッケー選手がプロアイスホッケークラブ「HC日光アイスバックス」に加入した。鈴木貴人、日本アイスホッケー界の名門SEIBUプリンスラビッツのキャプテンであり、長野五輪以降の日本アイスホッケー界を一人で支えてきた男である。彼は、SEIBUの突然の廃部によって、行き場を失っていた。34歳の鈴木に残された「アイスタイム」(アイスホッケー選手のプレー時間)は少なかった。そこに声をかけたのが小学校時代からの親友の村井忠寛だった。村井は慢性的な経営難に苦しむアイスバックスの監督を引き受けており、チームの再建のためにホッケー界のスパースター鈴木に力を貸してほしいと頼んだのだった。しかしそこにあったのはプロとは名ばかりで、負のオーラをまとった弱小チームだった。
鈴木が移籍して2年、フロントに日置貴之がやってきた。スポーツコンテンツビジネスに明るい彼は、義理人情で成り立ってきたチームにメスを入れた。アイスホッケーをビジネスと捉える日置によって、チームの変革は少しずつ進んでいく。
震災後に始まった2011年シーズン、奇跡が起きた。開幕から快進撃を続けたアイスバックスは、クラブ史上初のプレーオフ決勝進出。コクド、SEIBUの宿敵だった王子イーグルスとの決勝最終戦、0-3と大きくリードされた最終ピリオド、2点を返した残り4分、鈴木が単身、パックを持ち出してゴールに迫った。アリーナに歓声と悲鳴が交錯する。その数秒に多くの人々が、小さな幸福のありかを見た。
そして翌シーズン、鈴木の満身創痍の体が悲鳴を上げた。ホッケー人生で初めての長期離脱。前年に準優勝したチームにも、大きな断裂が起き始める。鈴木は自らに問いかける。ホッケーの明日のために、何をすればいいのか。家族を呼び寄せて臨んだ最後の世界大会。アイスタイムへの未練を断ち切り、37歳はホッケー界の未来のために、ある決断をする。
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