色(しき)と空(くう)の往復の運動。それが声です。――古井由吉
いま文学者の創造とは何か。詩、小説、美術、歴史、さまざまな事象に目を向け、存在のあわいで語られ、響きあう、2人の「声」。
2001年9月11日。ミラノで惨劇の映像を目にした松浦寿輝は、そこに「言葉の空洞化」という問題を見いだす。その直後、松浦寿輝から古井由吉へとはじめられ、約1年にわたって続けられた言葉の往還。現代最高の文学者による、時代を洞見する往復書簡集。
――言葉のテクネー(技術)が、そして言葉のテクネーへの信頼が萎えている。<中略>言葉の力で現実を動かすことへの素朴な信仰が空洞化してしまっているのは、むしろ文学の責任なのではないか。(2001年10月2日 松浦寿輝)
――言語の空洞化の中で、文学者と言われる者は、何を語るべきか。正直申して、お呼びではない。あらためて恐怖に付いて沈黙しろ、と言う声を私は聞きます。<中略>しかし恐怖との対面に、言葉の「用」は生じる。(2001年11月1日 古井由吉)
輪郭を失う「わたし」、虚空に浮かぶ言葉の中で、いま文学者の創造とは何か。近代を照射し、現代を浮かび上がらせる2人の文学者。「9・11」直後にはじめられた往復書簡に、過去3度行われた、両者の対談を収録。
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