誰も知らなかった向田邦子
もしかしたら私は、これだけの紙数を費やして、あの人の不幸について書いてきたのかもしれない。
向田さんには、実際の人生で、自分が主婦として坐っている茶の間を半分諦めているような節があった。だから、あんなに温(ぬく)い茶の間が書けたのかもしれない。自分には多分やって来ないと思っていたから、花一輪の幸せをみごとに描けたのかもしれない。向田さんにとって、幸せを書くことはきっと寂しい仕事だったに違いない。1つの幸せを書きおえてペンを原稿用紙の上に投げ出し、ぼんやり爪を噛んでいる顔が見えるようである。――(本文より)
【向田邦子】
昭和4年、東京に生まれる。実践女子専門学校国語科卒業。昭和27年、雄鶏社に入社、「映画ストーリー」編集部で活躍。昭和35年に同社を退社後、放送作家となる。「時間ですよ・昭和元年」「寺内貫太郎一家」など、プロデューサー久世光彦氏とのコンビによるテレビドラマのヒット作品を次々に生みだした。昭和55年には、第83回直木賞受賞。翌56年8月、台湾旅行中に飛行機事故で急逝した。
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