西園寺が日本のアカデミー・雨声会を開催した明治40年、新文学が明確な潮流となった。白鳥「塵埃」、青果「南小泉村」、三重吉「山彦」、虚子「風流懺法」等が出、朝日入社の漱石は「虞美人草」を連載、白秋、露風ら若き詩人達が活躍し始めた。9月、日本自然主義の方向を決定した花袋「蒲団」が発表され、藤村のモデル問題で暮れたこの時、谷崎らの青春もあった。盛衰・新生、文壇の諸相を重層的に捉える伊藤文壇史!