桜田門外の変の資金源はこんにゃくだった!
松尾芭蕉に愛され、アメリカが恐れた「風船爆弾」を生み、ペニシリンの国産を助け、昭和天皇にも一目置かれた――その軟体には日本史の激動が刻まれている!
維新回天の陰に、こんにゃくがいた!
しかし、幕末に水戸藩が広めたのは尊王攘夷だけではなく、こんにゃくもしかりであった。かたや日本を維新回天に導いた多くの志士に影響を与えた誇り高き思想であり、こなた、あってもなくてもさしあたり人は困らぬこんにゃくであるが、このふたつはほぼ同じ時期に、水戸藩から全国に広まっている。(中略)尊王攘夷とこんにゃくは袋田を舞台に密接に結びつき、やがて幕府を激震させる大事件をひきおこすのである。(中略)いわゆる桜田門外の変だが、この襲撃事件の現場指揮をとったのが関鉄之介である。その日の朝、愛宕山で鉄之介が受けとった金は襲撃後の同志たちの逃亡資金で、その額200両といわれているが、これは根拠のたしかな数字ではない。こまかなことをいえば、金を運んだのは重箱ではなく、薬缶だったとする説もある。ディテールのちがいはともかく、はっきりしているのは、この資金を出し、使いの男にとどけさせたのが、袋田の蒟蒻会所を取り仕切っていた桜岡源次衛門だったことだ。――<本書より>
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