日本で暮らして4半世紀のフランス人言語学者フランス・ドルヌ。彼女の目には「行ってきます」「痛っ!」「助けて!」なにげない普通の日本語の背後に深い働きが見える。2つの言語を合わせ鏡に、夫・小林康夫との対話からうまれた日↔仏往復言語学。
水ではなく「お湯を沸かす」のはなぜ?
「よく来たね」の「よく」は何が良いの?
「ねぇ、貸して」の「ねぇ」って何?
「すごいよな」はOKで「すごいねな」はNG?
「しまった!」「ちょっと待った!」は過去形?
発話からはじめて……
あるひとつの個別言語は、それを学ぼうとする外国人にとっては、未知の規則によって支配された不思議な現象として現れます。(中略)どの日本人にとっても、あまりにもあたりまえで、いかなる不思議からも遠そうな「行ってきます」という表現が、とても不思議なものと映ります。自分の母語による関係網の形成の枠のなかにうまくおさまらないものがあると感じる。そこに日本語固有のローカルな表現があると見るのではなく、そこには自分の母語にはそのままの形で現れてはいないが、しかし別の回路を通ってつながっているような一般化可能な関係設定が現れているのではないか――それが探究の出発点なのです。――<本書より>
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