わたしとわたしの周りの世界とは別もの? 対象として世界を捉える知を捨て、じかに自然に感応しつつ、山川草木のなか自分という風景を描き出す。
こちら側から向こう側へ――最近になって、ケン玉の新しい技法を案出した。それは目を閉じてするケン玉である。目を閉じたままで、闇の中を上下する目に見えないタマを受けとめるのだ。赤タマの動きと剣をもつ手の動きが同調して、スポッと合体する。2が1になる。闇のなかで2が1になる音。闇のなかで不意に生まれる音。私はその音に目を開いててのひらのなかにおこった微小な天地創造のドラマを味わう。音は闇のなかでおこった。微小な天地創造のドラマを味わう。音は闇のなかでおこった。自分のこちら側でもなく、向こう側でもない。自分の内部でもない。スポッという音。これは微小かもしれないが天地創造の音ではなかろうか。――本書より
JEUNESSE―ジュネス―とは、年若いこと。若狭とは、いまだ問いを呑み込まず、宇宙の風にさらされること。いわゆる「教養」や「知的好奇心」は、大人のスマートな会話に似合いそうな言葉です。立ち止まってみましょう。自分はどんな問いの渦の上に立っているのか。かすかな謎のささやきに耳を傾ける感性を、また、どんな権威や常識にも頼らぬ思考を、私たちはJEUNESSEと呼びます。古い問題をもう1度新たに問い直し、あたりまえに見える目の前の世界に想像力の自由な視線をめぐらすとき、見たこともない像が立ち上がるのです。現代新書JEUNESSEは、そんな知的感性を大切にしたいと考えます。
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