蒙古襲来を機に高揚する、神国思想。各地で進む、寺社・荘園の再建(リストラ)、聖地回復の民衆運動と排除された者たち。時代の変革願望がもたらした、後醍醐天皇の「新儀」とは。鎌倉末から南北朝へと続く、動乱の世紀を活写する。
伊勢神道の成立――始祖法然・親鸞をはじめ、専修念仏を主張して神祇不拝の原則を堅持し、危険思想として弾圧され続けてきた念仏教団――その一派である時宗は、いち早く、この反体制の立場を放棄し、体制肯定・現世利益の神仏習合に進んだ。そして、蒙古襲来により神国観念の高揚する中、ついに他阿真教(のち時宗の主流)に至って、神本仏迹の神国思想に追随するまでになった。皮肉なことであるが、念仏の教えは、この時はじめて遊行の大衆運動として高揚し、民衆世界に広く浸透したのであった。しかし、その教えは、始祖の時代の真の変革思想とはほど遠く、体制仏教をさらに強化・拡大するための革新に変貌していたといわなければならないだろう。……このように神と仏が結合の度を強める中で、ついに神祇の存在を否定する真の反体制宗教が姿を消してまったこと――これこそが、中世神国思想の成立の意義といえよう。しかも「諸宗がこぞって変革をうたい、真の変革思想がこの世から消える」という事態は、宗教の世界に留まらなかった。――本書より
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