正義漢だが親ゆずりの一本気、純情な江戸っ子かたぎの坊ちゃんが、東京から中学の先生として、はるばる四国にやってきた。いたずら盛りの生徒や俗な教師の赤シャツ、野だいこ、ちょっと弱気なうらなり、正義漢の山あらしなど、ユニークな登場人物に囲まれた坊っちゃんの新人教師生活は……? 文豪・漱石の痛快なユーモア小説の名編。
慶応3年(1967年)、大政奉還の年、江戸牛込馬場下横町(今の新宿区喜久井町)に生まれる。本名金之助。里子や養子に出されるなど、複雑な幼少期を過ごした。青年期は二松学舎で漢学を、成立学舎で英語を学んだ。22歳で正岡子規と知り合い、文学上の影響を受ける。東京帝国大学文科大学英文学科を卒業後、松山中学校に赴任。その後各地で教職を務めたのち、文部省から派遣され2年間イギリスに留学。留学期間中に神経衰弱に悩まされるようになる。帰国後は東京帝国大学、第一高等学校の講師に就く。明治38年(1905年)に「吾輩は猫である」を、明治39年(1906年)「坊っちゃん」を「ホトトギス」に発表した。1907年、教師を辞めて朝日新聞社に入社。聞連載作品として「虞美人草」「三四郎」「それから」など多数執筆した。「明暗」を連載中の大正5年(1916年)12月9日永眠。
明治37年(1904年)、長崎県に生まれる。児童文学作家、文芸評論家。東京帝国大学文学部卒業後、出版社勤務を経て、戦後は児童文学に転じた。立教大学教授、実践女子大学教授などを務めたほか、1955年に浜田廣介らと日本児童文芸家協会を、1962年滑川道夫、鳥越信らとともに日本児童文学会を、同年、日本近代文学館を設立した。日本児童文芸家協会会長、日本近代文学館顧問を務めた。著書に『春の目玉』(国際アンデルセン賞優良賞)、『秋の目玉』(野間児童文芸賞)、「天平の少年」(サンケイ児童出版文化賞)などがある。平成7年(1995年)永眠。