奥州へ下った義経は、平泉に藤原秀衡を訪ねる。義経に好意をよせる鎮守府将軍・秀衡は、このとき53歳。当時、藤原氏は蝦夷と争っており、義経はこの争いにまきこまれ、蝦夷を討伐し、長の赤路具を心服させる。やがて治承4年夏、兄・頼朝の平家追討の旗上げが知らされる。ついに義経の立つ日が来た。関東へ向けて、平泉を出で立つは、義経主従32人……。
義経ものがたり
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