文禄四年七月、名護屋から帰った秀吉は、粗暴の振る舞い多く、「殺生関白」と怖れられていた秀次を高野山に自刃させた。上洛した家康が、秀頼への忠誠の誓紙をとられたのは、その翌月のことである。そして慶長三年八月、秀吉は、秀頼の前途を案じつつ「浪花のことは夢の又夢」の辞世をのこして永眠した。
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歴史対談 徳川家康