「闘うもやし 食のグローバリズムに立ち向かうある生産者の奮闘記」既刊・関連作品一覧
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深谷市で親子2代、50年にわたってもやし栽培業を営む飯塚商店の飯塚親子は、大手スーパーから「いまどきの大量生産もやしをつくるか、従来のもやしづくりにこだわるか」と迫られ、後者を選んだため、あっさり取引を打ち切られました。 資本の論理の前に「当たり前のきちんとしたもの」が屈服するのか? 「もやし屋」飯塚雅俊52歳がいまなお継続する奮闘の軌跡を、自らのペンで綴ります。
スーパーや大手食品メーカーの台頭で、地元の小さな食品業者が廃業を余儀なくされる。グローバル経済という津波は、小さな地方都市・埼玉県深谷市をも飲み込んでいます。
深谷市で親子2代、50年にわたってもやし栽培業を営む飯塚商店の飯塚親子は、大手スーパーから「いまどきの大量生産もやしをつくるか、従来のもやしづくりにこだわるか」と迫られ、後者を選んだため、あっさり取引を打ち切られました。
この仕打ちに息子の雅俊さんは、経済的打撃以上の疑問を感じます。大量生産のもやしは、見栄えと食感を優先したために「本来の味を失った」もやし。一方、飯塚親子がこだわり続けるのは、「見栄えはよくないけど、きちんともやし本来の味がする昔ながらの」もやし。資本の論理の前に「当たり前のきちんとしたもの」が屈服するのか?
それから数年後、病に倒れた父親の跡を継ぎ、いよいよ雅俊さんが「もやし屋」の主となったとき、最初に彼が発見したのは、1億を超える借金でした。
スーパーの要求どおり、本来の味を失ったもやしをつくる道もありました。しかし飯塚さんは、昔ながらのもやしで闘う道を選びます。奥さんも娘たちもその選択に賛同します。
家族一丸の闘いは今も続いています。彼は言います、「お金持ちになるのが勝利とは思っていません。当たり前のことをやって、家族が普通に食べていけるかどうか。安全で普通においしいもやしをつくって生活をしていけるかどうか。その闘いです。いまの日本は、当たり前のことをやっている人が、食べていけない、家庭生活ができないような社会にどんどんなっているような気がして…」
「もやし屋」飯塚雅俊52歳がいまなお継続する奮闘の軌跡を、生まれついてのユーモアとともに自らのペンで綴ります。