「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」既刊・関連作品一覧

  • 電子あり
ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ

●没後38年を経て紡がれる「誇り高き混血児」の秘話
後田義明は終戦直後の1947年、徳島県の山村で生まれた。
母親は日本人で父親はアメリカ兵。レイプによって芽生えた命だった。
自殺も考えるほど苦悩した末、母親の後田次恵は義明を生んだ。
だが、貧しい暮らしと忍び寄る差別の目に追い詰められ、
次恵は義明を手放すことを決意する。
預けられた先は、三菱財閥の令嬢・澤田美喜が私財を投げ打って
設立した“混血児のための孤児院”、
エリザベスサンダースホームだった。
「かあちゃん、絶対迎えに来るから」母子は指切りをして別れた。
ホームで伸び伸びと育った義明は、11歳でアメリカへと旅立つ。
義明は養子先で、スティーブ・ヨシアキ・フラハティという新しい名前を
授かった。ハイスクールではフットボールと野球の花形プレイヤー
として連日新聞を賑わし、女生徒たちの憧憬の視線を一身に集めた。
だが、21歳を迎えた時、彼が選んだ道はベトナム戦争への
出征だった。そしてスティーブは、ベトナムで散った--。
“神の手”が動き出すのは、スティーブの死後9年が経ってからの
ことだった。エリザベスサンダースホームを取り上げたドキュメンタリー
番組を、偶然、次恵が目にする。画面に孤児院を巣立って戦死した
スティーブの写真が映し出された。
次恵はその場に泣き崩れた。「この子だわ、この子が義明だわ……」
戦争で生まれ戦争で死んだヨシアキをめぐる物語には、さまざまな人間の運命が
奇跡のように絡み合う。人間とは、親子とは、友情とは、そして戦争とは--。
悲劇から紡がれる、感動のヒューマンストーリー。

爆笑問題・太田光氏推薦!
「この本に出てくる人と、この本に関わる人の全てが
太陽のように輝いている。
奇跡みたいな幸福をもちいて綴られた悲劇。
読んでいる時、ずっと光源のそばにいるようで楽しかった。
不思議なのは、こんなに愛おしい人間が協力し行ったのが戦争であること」