「明治を支えた「賊軍」の男たち」既刊・関連作品一覧
貧困、冷遇、嘲り、敗北をはね返した実例10人!
逆境にあって生き抜く! 日本人の肚の据え方!
逆賊として差別される旧幕府陣営。幕末から明治へ、不屈の魂がつくりあげた近代日本!
慶応3年(1867)のパリ万博は派遣された幕臣たちにとって波瀾万丈の日々だった。将軍慶喜の実弟徳川昭武がその後、ヨーロッパを1周し、パリで勉強を始めたばかりの慶応4年3月16、17日に江戸から手紙が舞い込んだ。1月中旬に日本から出された手紙だった。鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れたこと、将軍慶喜が軍艦開陽丸で大坂から逃げ帰ったことが詳細に記されていた。「何だって」渋沢は仰天した。次の手紙には慶喜が朝敵とされ、関東征伐のために仁和寺宮が江戸に向かったこと、慶喜は謝罪、恭順に徹し、朝廷に助命を嘆願していることも記されていた。幕府は潰れてしまったのだ。「ああ」皆、出るのはため息だけだった。
●渋沢栄一――パリ万博中幕府崩壊
●福沢諭吉――銃弾の中、塾で講義
●榎本武揚――幕臣随一の秀才
●原敬――藩長藩閥政治に鉄槌
●山川健次郎――白虎隊、東大総長に
●後藤新平――東京を作り直した男
●藤原相之助――官軍参謀を糾弾
●内藤湖南――藩長官製維新史批判
●野口英世――世界の医聖の会津魂
●朝河貫一――全米で尊敬された学究
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