「日銀エリートの「挫折と転落」--木村剛「天、我に味方せず」」既刊・関連作品一覧
「金融改革の旗手」はなぜ、司直の手に落ちたのか?
小泉政権時代の2002年、木村剛は竹中平蔵金融担当相のブレーンとして金融庁顧問に就任。「金融再生プログラム」(竹中プラン)の推進役として、華々しく登場した。木村は日本銀行出身のエリートとして、遅々として進まない大手銀行の不良債権処理に警鐘を鳴らし続けてきたが、金融再生プログラムによって不良債権比率を半減させるノルマを課し大手銀行を攻め立てる。その一方で、大手銀行の貸し渋り貸しはがしによって打撃を受ける中小企業へのセーフティネットとして立ち上げた日本振興銀行では経営に参画し、株式を買い増してオーナーの座に収まった。
小泉首相、竹中金融相をはじめ、元日銀総裁の福井俊彦、金融庁長官の五味広文などを後ろ盾にして、まさにわが世の春を謳歌した。そんな木村が規制改革の名の下に改革利権の果実を口にしたために、経済界などでは「平成の政商」と呼んで批判した。
その木村が、金融庁の検査に対して迂回融資が立証されるおそれのある電子メールを削除した検査忌避の疑いで逮捕された。その瞬間、これまで木村をバックアップしてきた大物たちは、掌を返すように突き放した行動を取った。特に、木村が創設し、自ら理事長を務める会員制金融セミナー倶楽部「フィナンシャルクラブ」の最高顧問を務めていた竹中は、主宰する「チーム・ポリシーウォッチ」のホームページから木村の顔写真を削除したほどだ。
「金融改革の旗手」と持てはやされ、ビジネスモデル崩壊とともに司直の手に落ちた木村剛の功罪を問う。
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