「九州独立計画 玄海原発と九州のしあわせ」既刊・関連作品一覧
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あの『家栽の人』原作者が、生まれ育った九州に根を下ろし、ひたすら歩く中で起きた「3・11」。人々の営みを破壊する原発に対する怒りから出発した玄海取材は、意外な方向に展開する。原発を誘致した人々から玄海町長まで訪ね、原発運転差し止め判決を下した伝説の裁判長にロングインタビュー。さらに「やらせメール」で悪名を馳せた古川康佐賀県知事に肉薄する。佐賀と九州、九州と日本の関係を問い直す大型ノンフィクション!
天下の暴論!!
古川佐賀県知事よ、倭国の王となれ!!
著者は検事か?
それとも弁護人か?
九州市民を裁判官に配して繰り広げられる
被告・九州電力と佐賀県知事の紙上法廷――。
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原発のない九州の未来がどうしても欲しかった。
古川康佐賀県知事の経歴を調べていくうち、佐世保市の片隅に生まれた私の見た世界と重なり合う部分がみつかるのが驚きだった。
古川康氏は私と同じ一九五八年生まれで、宮本が必死で落差を埋めようとした「中央と地方」の悲しい関係を真剣にみつめたことがあるのだ。
連合長崎の元事務局長・有川勝氏に会ったのは官僚時代の古川氏を知りたかったからだ。しかし、私はいつもの作法で、有川氏が生まれたところから話を聞き始めた。私は個人の生き方を豊かに描き、それを無数に積み重ねる先にしか、手触りのある歴史は生まれないと考える。だからインタビューを始めると、目の前にいる人を全部受け止め、理解するために話を聞く。相手が嫌になるまで話を聞き続けるのである。
有川氏は政治家・古川康の産婆役ともいえる存在だった。おそらく、有川氏の人生のなかで、もっとも大切な宝物が古川康という政治家なのである。
「私があんたを気に入ったら、古川さんに会うように言ってあげましょう」
そう言っておられたが、整理した有川氏の聞き書きを届けると、気持ちが変わられたようだ。
おそらく有川氏の言葉が濃密に再現された文章に「得体が知れない」と感じられたのだと思う。
しかし、有川勝氏の語る古川康像は、「九電に再稼働賛成のやらせメールを送らせたダメな佐賀県知事」という薄っぺらい記号を裏切って痛快だ、と私は思う。私は古川康という人を多面的に、豊かに描くことで理解しようと願った。
私にとって「書く」とはそういうことなのだ。
「俺が九州に帰ってきたのは、この本を書くためだったのか……」
原稿を書きながら、繰り返し、そうつぶやいていた。
(「あとがき」より抜粋)