倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も従来は、すでに国が存在することを前提として語られてきました。しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりも複雑だったことが明らかになってきました。交易の主役は「中央」ではなく様々な地方の勢力だったのです。倭一国だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目から見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も、従来は、すでに国が存在するものとして語られてきました。強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたというイメージです。
しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりももっと複雑だったことが明らかになってきました。
日本の古墳からは朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土しています。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえありました。両者の交易は多様で、その中心をになったのは「中央」ではなく、むしろ大小様々な地方の勢力だったのです。
対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは通説よりもかなり遅い六世紀の前半で、北九州の「君主」だった磐井を倒したことによって、ようやくその長いプロセスは完成した、そう著者は考えます。
倭一国の中だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目を使うことによって見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
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