海を渡り北方世界と日本を繋ぐ大交易民族としてのアイヌ。中国王朝と戦うアイヌ。従来のステレオタイプを覆し、ダイナミックに外の世界と繋がった「海のノマド」としてのアイヌ像を様々なトピックから提示する。(講談社現代新書)
アイヌと聞くと、北海道の大自然の中で自然と共生し、太古以来の平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的なイメージでしょう。
しかし、これは歴史的事実を無視した全くの誤解に過ぎません。例えば中国が元の王朝だった時代、元朝は現在の沿海州地方に出兵し、その地でアイヌと戦争をしました。鷲羽やラッコの毛皮など、当時珍重されていた品々を調達するために北海道、樺太から沿海州にまで進出してきたアイヌの人々を排除するためでした。この事例からも窺えるように、中世のアイヌは大交易民族でした。奥州藤原氏が建立した中尊寺金色堂の金もアイヌがもたらしたものだった可能性があるのです。
著者によれば、アイヌは縄文の伝統を色濃く残す民族です。本州では弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守り、弥生に同化しなかった人々、それがアイヌだったのです。有名な熊祭りも、縄文の伝統を今に引き継いだものではないかと考えられています。
また、日本との交流も従来考えられていたよりもずっと緊密でした。アイヌ語で神を意味する「カムイ」が日本語からの借用語であることは有名ですが、それだけに止まらず、様々な面において日本由来の文物を自身の文化に取り入れていったのです。
本書では、従来のステレオタイプのアイヌ像を覆し、ダイナミックに外の世界と繋がった「海のノマド」としてのアイヌの姿を様々なトピックから提示します。
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