「遊ばなきゃ――それが無意味な人生に対する復讐にもなるわけだ」▼神※を探して秋葉原を彷徨うミウラハジメ。処女崇拝の是非を池袋で問うアラシヤマシズエ。楽園を目指して山道を分け入るアニサキホズエ。三人の「私」と一人の「僕」が語り交わす三編のオムニバス。交差しぶつかりあう会話、会話、会話!(※ただしネトゲ上に限る。)▼講談社BOXから“隠れ”本好きに贈る、新人賞Powers受賞作家コタニ夕多の初小説。
山道を車は進む。助手席に座ったその人は憎らしいぐらい良い声でちょっとした人生談義をご披露していた。
「……楽しそうにしてりゃあいいんだよ。誰の目にも見えない哲学を誰にも褒められず評価もされないまま孤独に突き詰めるより、他人から笑顔で祝福して貰える程度にありきたりで現世的な幸せってやつをきちんと追求してやろうじゃないか。人生なんてさぁ……要するに、ゲームみたいなものなんだよ。技術を磨くのもレベリングに腐心するのも、結局はただのゲームで無意味で空虚かもしんないけど、そんなただのナンセンスなお遊びでも上手く遊んで楽しんで存分利用出来る方が賢いじゃない。折角与えられた人生なら、隅々知り尽くして遊びつくして全部を究極的に搾りつくして平らげられた方がお得だろ? 哲学なんてさぁ、ソフトを分解して中身のチップと睨めっこしながらゲームの面白さを解明しようと躍起になってんのと同じさ。超馬鹿馬鹿しい。そんな素人根性で機械壊しちゃったりしたら、それこそ本末転倒ってやつだろ? どうすんだよ、そんなの折角の名作も台無しだろ。だから……まぁだから、遊ぶのさ。リアリティーがなくたって、つまんなくたって、上手くいかなくたって糞ゲーだったって――利己的に刹那的に退屈を殺す為に、欲望を満たす為に、存分利用してやるのさ、人生を。そうやって平然と出し抜いてやるんだよ。つまらない世の中を。退屈な人生を。代わり映えのしない存在価値を、ね。強いて言うならそれが無意味な人生に対する復讐にもなるわけだ」
後部座席の私たちは動画サイトの閲覧に夢中で、あいにくそのご高説のほとんどを聞き落としていたわけですが、まあ些末な事ですよね。
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神※を探して秋葉原を彷徨うミウラハジメ(24)。
処女崇拝の是非を池袋で問うアラシヤマシズエ(15)。
楽園を目指して山道を分け入るアニサキホズエ(17)。
三人の「私」と一人の「僕」が語り交わす三編のオムニバス。
橋の上で、広場で、雑踏で交差しぶつかりあう会話、会話、会話
――まるでドストエフスキー?
第15回講談社BOX新人賞Powers受賞作。
これがクールジャパン小説!
※ただしネトゲ上に限る。
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