ドイツ神秘主義叢書10:ドイツ神学

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ドイツ神秘主義叢書10:ドイツ神学
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内容紹介

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目次

  • 『ドイツ神学』扉(一五九七年・アルント版)
  • 凡例
  • ルター「序文」(一五一六年)
  • ルター「序文」(一五一八年)
  • アルント「序文」
  • 「序詞」
  • 第一章 完全なものとは何であり、部分的なものとは何であるか、そして完全なものが来る時、人はいかにして部分的なものを捨てるか。
  • 第二章 罪とは何か、またいかなる善も真の善だけに属するものである故に、人はいかにして善を我がものとしてはならないか。
  • 第三章 アダムの堕落のように、人間の堕落と背反はいかにして改められなければならないか。
  • 〔中略〕
  • 第十章 いかにして完全な人間は、自分たちが永遠なる善にとって、人間にとっての手であるようにありたい、ということ以外何も求めないか。またいかにして彼らが地獄に対する恐怖と天国への欲求を失ったか。
  • 第十一章 いかにして義なる人がこの世において地獄へ入れられ、そしてそこにおいて慰められ得ないか、またいかにして義なる人が地獄から出されて天国へ移され、そしてそこにおいて悲しまされ得ないか。
  • 〔中略〕
  • 第二十章 いかにして神の霊が時に一人の人間に取り憑いて、この人を支配することがあるか、またいかにして時に悪霊もそうすることがあるか。
  • 第二十一章 神を受け容れるべきでありそして神に従順でありたいと思う者は、すべてのものを、すなわち神、自分自身、そしてあらゆる被造物を受け容れなければならず、また受動的にそして時には能動的に、すべてにおいて従順でなければならない。
  • 〔中略〕
  • 第三十章 いかにして神が真の、純一な、完全な善でいられるか、またいかにして神が光でいられ、そして知性や一切の徳でいられるか。またいかにして人はこの最高で最善の善を最も愛すべきであるか。
  • 第三十一章 神化した人間においては、いかにして愛が純粋で混じり気がないか、またこの愛がすべての被造物を愛して恩恵を施し、それどころか最善を尽くそうとするか。
  • 〔中略〕
  • 第四十章 人は神を認識することが出来ても愛することが出来ないかどうかという問題。またいかにして真のものと偽りのものという二種類の光と愛があるか。
  • 第四十一章 人は何によって真の神化した人間を見分けることが出来るか、また何が真の神化した人間に属するか。また何が偽りの光あるいは偽りの自由な霊にも属するか。
  • 〔中略〕
  • 第五十章 我意は人間を安息のないものにする。
  • 第五十一章 天国には我がものは何もない、あるいはいかなる人も我がものを持ってはいない。
  • 〔中略〕
  • 第五十六章 神のみを愛し、また敬うこと
  • 原註/訳註/解説/後記/文献目録/索引

製品情報

製品名 ドイツ神秘主義叢書10:ドイツ神学
著者名 訳:山内 貞男

著者紹介

訳:山内 貞男(ヤマウチ サダオ)

1930年生まれ。宗教学者。大阪外国語大学ドイツ語学科を経て、京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学専攻単位取得。桃山学院大学教授、龍谷大学教授を歴任。専攻は、宗教哲学、ドイツ神秘主義。文学博士(京都大学)。
著書に、『近世ドイツ神秘主義研究』、
訳書に、エラノス会議『時の現象学』、『ドイツ神学』、ヴァレンティン・ヴァイゲル『キリスト教についての対話』などがある。

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