戦後60余年が経っても、歴史は風化せず!!
国内の激戦地を偲び、戦争体験の記憶を残す!!
太平洋戦争の傷跡は日本全国で10万ヵ所以上!!東京大空襲、崩壊した島々、特攻基地の今!!
1944年7月、サイパン島などマリアナ諸島がアメリカ軍の占領下に入り、本格的な日本本土空襲の条件が整った。サイパン島のバンザイクリフから多くの島民が死のダイブを遂げたのは、この時の戦いである。1944年11月、B29の本土への爆撃が開始された。当初の標的は、中島飛行機武蔵野製作所などの軍事施設だった。この時期の爆撃は、昼間の目視による高高度精密爆撃であったが、1945年に入ると非戦闘員をも対象にした無差別爆撃へと性格を変える。すなわち低高度夜間レーダーによる焼夷弾爆撃だった。1945年3月9日夜から3月10日にかけての東京東部地域へのB29による大空襲を手はじめに、名古屋、大阪、神戸、横浜と続き、8月15日正午まで八王子、長岡、富山と続行された。爆撃されたのは約200都市。日本全土で約60万人が死亡。
●太平洋戦争の日本の戦場・再現
●東京を手はじめに全国200都市空襲
●60余年、ものいわぬ黒こげの電柱
●全国を覆う無数の戦跡
●秘密裏に進められた兵器軍需工場
●秘匿工場ゆえ死者数は不明のまま
●若者が露と消えた特攻基地の保存
●飛行機が隠された掩体壕(えんたいごう)を偲ぶ!
●ほぼ全滅した日本の島々の惨状
●戦跡保存会・戦争資料館ガイド
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