著者渋沢栄一は、「論語」を選んだ理由を次のように述べている。「均しく儒教を奉ずるにしても、大学もあり中庸もあるのにこれを捨ててただ論語を選んで遵法する理由は、大学は政治に関する教誨を重しとし、中庸は更に一層高い見地に立った悠遠な説で、(中略)しかし論語は日常処世上の実際に応用し得る教えであるから、論語を選んで終生悖らないことを期している」――また、その解釈の立場は王陽明を主とした折衷の立場をとっている。