離人症における自明性の解体、分裂病が示す自他認識のエポケー、失語症にみられるシニフィアンの交錯など、精神病理を題材に、現象学、フロイトから、ラカン、デリダへと至る、現代哲学にアプローチ。
意味=ロゴスを疑う――フロイトが自我に対して無意識をもち出してきたとき、すでにそれは、「純粋自我」とか「純粋な私」といった近代特有の思想的前提が、いかに疑わしいものであったかを告発しているのだ。同様にわれわれはまた、純粋な「現在」とか純粋な「意味」というものの存在根拠をも、根本から疑ってみる必要があるのではないか。……意味の純化はすでにひとつの暴力にほかならない。それはフーコーが見事にあばいて見せたように、いつか必ず「ヒューマニズム」の名のもとに、そのテリトリーに属さぬものを「病者」として抑圧監禁する、暴力的本性を露わにしてくることだろう。繰り返し言っておこう。われわれはハイデッガーやデリダやラカンのために近代批判や形而上学批判をするのではない。たんにその必要があるからそうするのだ。――本書より
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