朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり 善人なをもて往生をとぐいはんや悪人をや 生はうたかた。一期は夢。金が敵の虚仮の世間、凡夫は仏を念じ、春雨に酔う。人の世のことわりをどう見るか。名言・名句に心の拠り所をさぐる。
武士道と云は、死ぬ事と見付たり――武士階級が最上層に君臨していたのだから、彼らは「高貴なる者」であったはずだ。ところが、その武士階級に支配者としての自覚がなかった。支配者としての自覚を持つということは、農・工・商の支配される階級の人々の幸福に責任を持つことだが、彼ら江戸の武士にはそんな責任感がほとんどない。極端に言えば、彼らは被支配階級が生活に苦しもうが、不幸になろうが、そんなことはどうでもよかったのだ。彼らの関心は、ただただ自分たらの頭目(親分)である主君に気に入られることであった。(中略)江戸の武士たちは、主君のために命を投げ出すことだけ考えていた。つまり、彼らは主君の飼い犬であって、被支配階級に対する支配者としての責任は、これっぽっちも持っていなかったのだ。――本書より
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