ふたり 皇后美智子と石牟礼道子
2013年10月、水俣を訪れた天皇皇后が、水俣病患者と歴史的な対話をかわされた。そのきっかけをつくったのが、『苦界浄土』をあらわした石牟礼道子。二人のミチコが文学をとおした魂の交感から、数々の秘められたドラマが生まれた。60年代からはじまった水俣闘争は、この日本を代表する作家を生んだ。そして彼女を支えたのが同じ熊本で新たな視点で日本史を読み直す渡辺京二だった。戦後70年、水俣は癒されたのだろうか。
2014年の歌会始で天皇が詠んだ一首。
慰霊碑の先に広がる水俣の 海青くして静かなりけり
2013年10月、「全国豊かな海づくり大会」のため水俣をはじめて訪れた天皇皇后にとり、その旅は大会への参加以上に、戦争にひきつづき果たしてきた日本の惨禍への慰霊が目的だった。水俣でおきた『奇跡』――、天皇の政治利用と非難されることを自ら覚悟のうえで、渋る宮内庁幹部を動かし、極秘のうち実現した天皇皇后と胎児性患者や語り部の会11人との面会。それは美智子皇后と作家・石牟礼道子、「ふたりのみちこ」の深い絆によりもたらされた。
作家・池澤夏樹氏が個人編集し大評判をよんだ『世界文学全集』の中で、日本作品から唯一選ばれたのが、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)だった。本を通して深い信頼関係を築いた「ふたりのみちこ」が、半世紀以上にわたり水俣病と向きあった人々からの「許し」を得るまで。その過程には、水俣病の原因をつくったチッソの社長が雅子皇太子妃の祖父だったという、乗り越えなければならない複雑な経緯もあった。
東京で、水俣で、深く意志を交錯させたふたり。パーキンソン氏病をわずらい闘病中の石牟礼道子は、天皇皇后に面会する患者代表にこう伝言したという。「天皇陛下に伝えてください。大会で放流したヒラメは、もう水俣病になりませんか?」
1965年に熊本の同人誌で知り合って以来、水俣病に石牟礼とともに取り組んできた作家・渡辺京二が語る、政府と公害企業との闘争史も興味深い。
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