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最後の馬賊

 李守信(1892~1970)はモンゴル人で、大日本帝国の将軍でした。同時にチンギスハーンの子孫である徳王とともに、モンゴル独立の夢を抱き民族自決運動を指揮してきました。そのためには日本と結ぶ(日本の力を利用する)ことにも躊躇しませんでした。
 戦後、日本人は李守信を忘れ、いや意図的に無視しようとしてきました。いや、日本人だけではありません、当のモンゴル人もまた李守信を語ろうとはしません。中国側も李守信が漢字の姓名を名乗っていたことから、モンゴル人の彼を「漢奸=売国奴」と呼び、中国という国を日本に「売った」と断罪することで、あたかも内モンゴルが最初から中国の一部であり、モンゴル人の歴史も初めから「中国革命史の一部」であったかのように歪曲しています。現在の日蒙中のいずれにとっても「不都合な過去」を象徴する人物なのです。しかし、李守信は、忘れてはいけない人物です。彼は誰よりも主君に忠誠を尽くした、確固たる信念を持つ政治家でした。その名のとおり信義を守る、すぐれた軍人だったのです。
 彼は生涯にわたって、無数の戦闘を中国軍と展開しましたが、それを支えたのはリーダーの人柄に惚れこんで帰順し、将軍として仰いだ無数の中国人「馬賊」たちでした。蒋介石も張学良も、あの手この手で李守信を自陣営に取り込もうとアプローチしました。しかし、彼はモンゴル復興の信念を一度も放棄したことはありませんでした。
 大日本帝国が崩壊して大陸から去ったのち、国共内戦で蒋介石側が不利になると、李守信も家族や側近を連れて1949年4月に台湾に渡りました。しかし、徳王がふたたびモンゴル自決運動を始めたと聞くや、ただちに同年6月に台北から広州に戻ります。徳王らが内モンゴルの最西端のアラシャン地域で自治政府を樹立するも米ソに見捨てられ、中国共産党によって崩壊に追いこまれたときも、李守信は現場にいました。このとき、多くの青年や軍人たちはアメリカに亡命するか、中共との共存を求める方法を選びました。しかし、李守信はどちらでもなく、徳王に殉じて軟禁生活に入り、1970年に彼は亡くなりました。
 本書は李守信の生涯をたどると同時に、20世紀の大国による国際政治に翻弄されながら、民族自決、独立の夢を追いつづけた者たちの姿、ありえたかもしれない「もうひとつの歴史」を描きます。