ここには、人間の経験のすべてがある
最初の世界帝国を支えた父祖の遺風と民衆の熱気
前753年の建国神話に起源をさかのぼる都市国家は、なぜ地中海を覆う大帝国を築くことができたか。熱狂的な共和政ファシズム、宿敵カルタゴを破った「父祖の遺風」など興隆の秘密を説き明かし、多神教から一神教への古代社会の変貌と帝国の群像を描く。
■イタリアの小さな都市国家を世界帝国にまで発展させた原動力とは?
伝説によると前753年に建国された都市国家ローマは、当初エトルリア人の王に支配されていました。しかし傲慢な王の追放後は、長老の集まりである元老院と民衆による共和政が確立されます。「多数の王者の集まり」の如き元老院が豊富な経験をもとに議論し決めた国策を、異民族撃退の熱気に溢れた民衆が全力で完遂する、「共和制」と「ファシズム」の合体こそローマ拡大の原動力だったのです。
■最大のライバル・カルタゴとの死闘を制した「父祖の遺風」
イタリア半島を統一したローマの前に立ちはだかったのは、地中海の覇者カルタゴでした。ローマはカルタゴと3度も戦火を交えますが、とくに猛将ハンニバルが相手の第2次ポエニ戦争は、イベリア半島からイタリア、北アフリカへとまさに地中海を股にかけた死闘でした。この戦いでローマに勝利をもたらしたのは大スキピオです。父と叔父をともにイベリア半島の激戦で失った名門貴族は、まさに祖先の名に恥じない「父祖の遺風」を実践したのでした。
■多神教世界帝国がなぜ一神教のキリスト教に大転換したのか?
ローマの名所パンテオンは、帝国各地の神々を首都ローマに祀った万神殿です。それなのになぜローマ帝国は4世紀、一神教のキリスト教を国教にしたのでしょうか。帝国再統一のため進軍中のコンスタンティヌス帝が天高く輝く十字架を見たからといわれますが、信者数が激増した背景は説明できません。実は多神教とキリスト教に唯一、共通する点があります。それは生贄を捧げる犠牲式です。多神教地中海世界に生贄の儀礼は際だっていましたが、キリスト教では神の子イエスが総ての人類を救うため犠牲となりました。これは混乱の世に救いを求める人々にはたいへんな衝撃だったのです。
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