講談社BOOK倶楽部

私の箱子 一青妙

『私の箱子』著者:一青妙

箱子(シャンズ)の底に眠っていたのは、愛の物語だった。

家族の「果てない絆」をみずみずしい筆致で描くエッセイ。

台湾人の父と日本人の母、そしてかわいい妹。 四人で暮らした思い出の家を取り壊すとき、 段ボールの中から偶然見つかった「箱子」。 そっと覗き込むと、「家族の記憶」が溢れ出した。

『私の箱子』
著者: 一青妙
定価:本体1,600円(税別)

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【著者メッセージ】知っているようで実はあまり知らないことって、意外に多くありませんか? 私にとっては早くに他界した両親がそうでした。この本は、母が生前残してくれた小さな箱の中から、家族の手紙、昔の写真、母親の日記などが見つかったことをきっかけに、私が子供のころの記憶をたどり、両親について理解しようとして、もがいたプロセスを描いたものです。本を読んで下さった方々が、家族でも両親でも他の何かでも、ご自身の大切な部分をもう一度しっかりと見つめ直すきっかけにしてくれれば、心から嬉しく思います。

著者プロフィール

一青妙(ひとと・たえ)
父親は台湾人、母親は日本人。父親は台湾五大財閥のひとつである顔家の出身。幼少期は台湾で育ち、11歳から日本で暮らし始める。中学時代に父親を、大学時代に母親を相次いで病気で亡くす。歯科大学を卒業後、歯科医師として働く一方、舞台やドラマを中心に女優業も続けている。本作が自身初のエッセイ。妹は歌手の一青窈。

読者モニターより、世代を超えた熱い反響が続々と寄せられています!!

(両親と)一緒にいることができた時間は短かったかもしれないし、決して平穏といえる生活ではなかったようですが、最後の一文をみれば一青妙さんが家族を大事に想っていることは明らかです。生活のなかで家族を意識する場面はなかなかありませんが、読んでいる間は家族が気になっていました。家族を大切にしようと思える一冊です。(10代・男性)

がんの告知。(父)恵民さんは教えてくれなかったことに対し、深い失望と悲しみ、怒り、裏切られた気持ち、それらが入り混じったなんともいえない心があったのではないでしょうか。だからこそ、(母)かづ枝さんと口を利かなくなったんだと想います。一番信じていた人に、一番最初に事実を伝えてほしかったから。(10代・女性)

台湾という国はよく知らなかった。近くにあるけど遠い、そんなイメージだった。台湾と日本の架け橋のような繋がりを知れた一冊。(20代・女性)

家族の絆というものを本当に感じられた。去年は東日本大震災などもあり、象徴する漢字に「絆」が選ばれた1年だっただけに、いまみんなに読んでほしい、そして絆というものを感じてほしい作品。(20代・男性)

一青妙さんの生まれ育ちは複雑で、そのような劇的な環境に身を置く人は少ないけれど、そのなかでの心の動きようは、多くの人が共感できるものだと思います。愛した人たちのことと、愛された過去の自分のことをわかることで、あらためていまの自分の立ち位置をみつめなおす。それはこれから自分が力強く前に進んでいけることの助けになると思います。(30代・男性)

日本人よりも日本人らしいといわれる台湾人のお父さまは、とても強いけれど弱い一面を持っていらして、苦悩されていたことがよくわかりました。そんなお父さまに嫁がれたお母さまは文化の違い等にも頑張って、お父さまへの愛が本当に深く美しく感じられました。お父さまのルーツを辿る後半は文化の違いや交友関係、台湾と日本の歴史にも関わり、とても興味深く、台湾へ旅してみたくなりました。(30代・女性)

私の両親は健在ですが、数年前に父が病気で手術することになったとき、初めて死を間近に感じました。いまは回復し元気にしていますが、このエッセイを読んであらためて、両親が元気な間にもっと話そう、たまには手紙を書くのもいいかもしれないなと思っています。そんなことに気づかせてくれた、妙さんに感謝です。(30代・女性)

一児の母となった私ですが、新しい家族の絆を深める土台になれるよう、強くありたいと思いました。そして両親に感謝の気持ちを伝えたいと想います。別れを知る前に両親からの愛情をいま一度感謝できたのは、『私の箱子』に出会えたからです。家族だからこそ声に出して「ありがとう」を伝えたい。そんな気持ちになりました。(30代・女性)

これはエッセイというよりも小説ではあるまいか。それも、とびきり瑞々しい私小説。いままで読んだことのないタイプのエッセイだった。モニターうんぬん関係なしに、この本は友人たちに薦めたい。きっと私と同じように、感動すると思う。(30代・男性)

父の人生も、母の人生も、そして夫婦としての人生も、辿れば辿るほど、どれほど美しく、尊いものであったか。父と母の尊敬の念が、文章の端々から感じられる「あとがき」を読み、肉体が消えても魂は永遠に心に宿り、ともに生きていけるのだという気がした。(40代・女性)

著者のお父さまに関するエピソードを扱った部分がこの作品の白眉です。とくにガンの告知を巡るやりとりは、お互いに相手のことを思っていながらも、さまざまな事情で素直に感情を表現できないことから関係がギクシャクしてくるという、世の中の難しさを痛感させます。それを平明に、かつ淡々と語る著者の姿勢には大変好感が持てます。(40代・男性)

親子関係、絆についてあらためて考えさせられました。とくにお父さまについて冷静な視点からみつめなおしているのがすごいなと思います。筆者のご両親への深い愛情が伝わってきます。また台湾からは震災時に多大な寄付をいただいていたのを知っていましたが、このエッセイを通して日本との関係を学べたのが良かったです。なんだか、とても台湾に行ってみたくなりました。(50代・女性)

父親ががんであるのを告知せず隠しとおした母。真実を知りたいと無言の抵抗を続けた父。壮絶な両親の関係は子どもにとって胸をしめつけられる。名家の後継者としての苦悩やそれに押し潰されまいとして酒に溺れた日々。限られた時間のなかで懸命に家族のことを思っていた父の姿が雄弁ではない書簡からうかがえる。(50代・男性)

家族のことを空気のようにあって当たり前という思いは悪くはないけれど、その当たり前は当たり前なんかじゃない。何もしないままでは絆なんか生まれない。家族と呼ばれるから深い絆で結ばれているわけじゃない、違うんだよ、と気づかされる作品でした。多くの方に読んでもらいたいです。(50代・男性)

たくさんの手紙やときを超えた思い出、メッセージが詰まった「箱子(シャンズ)」は、両親が残してくれた最後の、そして最高の贈り物だった。家族を結びつける果てしない絆のすばらしさは永遠です。(60代・男性)

何の面識もない読者にとっても、一家の幸せ・不幸せが胸を打ち、我が身に置き換えて考えさせられる一作であった。さらに、その背景をなす日本と台湾との関係についてもほとんど知らなかった自分に気づき、反省をさせられた。この作品を一人でも多くの日本人に読んでもらいたいと、強くおすすめするものである。(70代・男性)

著者インタビュー 『私の箱子(シャンズ)』を書き終えて

Q:『私の箱子』は、一青さんにとって初めての著作です。刊行したいま、どのように感じていますか?
いまでもちょっと不思議な気持ちです(笑)。どれくらい書けば一冊の本の分量になるだろうというイメージももてないまま、とりあえず思ったことを書き綴っていきましたから。ある場面を少し書いたら、ほかの場面にとんだりと、全体を通してこのエッセイはどうなっていくのか、自分でもわからないような状態もけっこうありました。
Q:実際に書店でこの本に出会うわけですよね。
初めてうかがった書店で『私の箱子』をみつけたときも不思議な感じでした。二店目、三店目とお邪魔して、とくに新刊コーナーで聞き覚えのある作家の方々の本の中に置いていただいていると恥ずかしい反面、素直に嬉しいなと思います。せっかくだから、多くの方に読んでもらいたいという欲がだんだんでてきました(笑)。
Q:今回発売前のゲラの段階で、講談社BOOK倶楽部を通して読者モニターを募集しました。多くの方々から熱心な感想をいただきましたが、筆者としてどのように思われましたか?
やはり書いたものに関してダイレクトな反応がいただけるのは、ものすごくいい経験になりました。率直にいうと、不安もありました。このエッセイはいわば私の半生記のようなものです。マザー・テレサのような偉業を成し遂げた人物の自伝ならいざ知らず、ふつうに生活しているふつうの人の生い立ちをはたして読んでもらえるのだろうか。自己満足なのではないだろうか。そう迷う気持ちもあったんです。けれども、いただいた感想を読んでいくと、私の書いたものに共感する部分をみつけてくださったり、ご自身の人生の物語を書いてくださったり、また気づかなかった別の見方を教えてくださる方もいて、その発見のひとつひとつに、「あ、書いてもよかったかな」と思えるようになりました。
Q:『私の箱子』は「家族の記憶」が描かれています。それは執筆前から一青さんのなかに温められていたものでしょうか。それとも書きながら思い出していったものでしょうか。
書きながら思い出していきました。「家族の記憶」といっても最初はあまり憶えていないから書けないんじゃないか、と思っていたんですね。ただ、憶えていないなりにも、私のなかにあるおぼろげなものを引き出してきて、その記憶にかかわるものを、たとえば手紙を読んだり、人に話をうかがったりして実際につきあせていきました。そうするうちに「あのときはわからなかったけれど、そうだったのかもしれない」「本当はこんなことがあったのか」という再発見がいくつもありました。このエッセイを書く作業を通して、自分のなかに眠っていた記憶がどんどん掘り起こされて、膨らんでいったように思います。
Q:中学二年生のときにお父さまを、大学二年生のときにお母さまを早くになくされていますね。子どものときにみていたご両親の顔と、大人になってあらためて知るご両親の顔はちがうものでしたか?
まったくちがいますね。とくに父に関しては「やさしい、いいパパだった」というイメージはもちろんありますが、具体的に、「父はどういうやさしさを持っていたのだろうか」とか、「どういうことを考えていたのか」と想像してみたことがなかった、というより、触れることもできなかったわけです。けれど、自分も成長して、いろいろなことがわかってきたぶん、「いまだったらなにを考えていたのかな」というようなことを思うようになりました。以前から親戚や父の友人に教えてもらってはいましたが、彼らが「大人(たいじん)」という父の像はなかなか実感が伴わなかったんです。私にとっての父は、たとえば酔っ払ってお寿司の箱を持って帰ってくるような、幼い頃に抱いたパパのイメージのままでしたから。でもようやく、大きな流れのなかで父・顔恵民がどういう人物だったのかということがわかるようになったと思いますね。母に関しては、ひとつの家族として一番身近な人、としか考えたことがなかったんですが、このエッセイを書いていくうちに、ふつうの親にみえた母がどれほど強い人だったのか、その母がどういうところでは弱かったのかが、わかってきたように思います。
Q:執筆していて楽しかったエピソードはありますか?
父と母の若かった頃の話です。台湾人と日本人、16歳の年の差があるふたりの出会いが銀座だったということしか、私は知らなかったんです。箱のなかには、海を越えて交わされていた結婚前の父と母の文通が残されていました。あとは、恋愛をして家族になっても、ふつうに口喧嘩もいっぱいしていたこと(笑)。やはり生身の人間といいますか、完璧じゃない部分もたくさんあるんだなと思うと、安心するといいますか、遠かった存在を近くに感じたりすることはありました。
Q:反対に、つらくて書けないということはありましたか?
つらくて書くのをやめるということはありませんでしたが、父のガン告知をめぐって、両親が一言も口をきかなかった時期に母が書いた手記を読んでいると「悲しい」という感情が湧き出てきて、書きながら涙が出てきました。書くことで当時の母のつらさも一緒に体験できたと思いますし、あの頃、中学生だった私の気持ちも一緒に出せたというのはありますね。
Q:「顔家物語」の章では、父方の顔家一族の経営をめぐってのクーデターの経緯がイキイキと描かれています。顔家といえば台湾五大財閥のひとつに挙げられる名家。そのお家騒動をこんなに面白く書いてしまっていいのでしょうか。
顔家のほうには怖くてみせていません。正直いってどうみせていいのかも悩んでいるところです(笑)。日本にいる父方の親戚は読みました。けれど、なにもいわれていないです。エピソードのなかで一番出てくる米国帰りのおじのビルは日本語が読めないので、不安感は先延ばしにしていますね。
Q:丁々発止の親族会議のあとで円卓を囲んでみんなで食事をする。そんな光景に台湾特有のおおらかさを感じました。日本では一族が顔を合わせるという機会自体が減っています。
春節の前に台湾に行っていたのですが、その時期の台湾では一族で食事をする機会がいつもより増えるんですね。レストランでは、お孫さんや曾孫さんに腕をひかれてやってきた長老や、赤ちゃんを抱いたお母さんなど、さまざまな世代がずらりと揃ったテーブルをたくさんみかけました。台湾の一族は日本よりも家族が海外にいる率も高いんです。一見ばらばらに散らばっているようにみえて、けれど、いざ集まると結束が固い。強い絆でつながっていると感じますね。
Q:妹さん(歌手の一青窈さん)が読まれて、「お姉ちゃん、ここは私の記憶とちがうよ」というような部分はありましたか?
そういうところはまったくなかったです。妹のほうが私よりずっと幼かったので、逆にこのエッセイを読むことでいままで知らなかったことがわかったり、眠っていた記憶が引き出されたりしたみたいで「よかった」といってくれました。いままで妹とは、面と向かって、父と母についてしゃべったことはおそらくなかったと思います。日常生活で、食卓をはさんでいきなり「ねえ、ママのこと本当はどう思ってた?」なんてあらたまって聞かないですよね。このエッセイを書くことは私たち姉妹にとっても、いい検証となって、いいきかっけになりました。ふたりしかいない姉妹なので、これからも父と母のことや共有できるものは、もっともっと話していきたいと思っています。
Q:あらためてこのエッセイを書くことで発見したものはなんでしょう?
母が私たち姉妹に残してくれた「箱子」には、へその緒、手紙やメモ、写真、私たちが描いた絵や図画工作などたくさんの思い出の品々がありました。人との絆は感覚のなかでつながっていたとしても、ものによってつながることもあると気がつきました。同時に、言葉として次世代に言い伝えることの大切さもあらためて感じました。正直にいうと、日本と台湾の歴史について自分でちゃんと調べて認識したのも今回が初めてだったんですね。台湾には日本の統治時代や、二・二八事件を経験した人々がまだたくさんいらっしゃいます。そういう人たちのお話をきくことの大切さも噛みしめています。
Q:台湾には親日家が多いというイメージがあります。東日本大震災に際して、世界でもっとも多くの義援金を送ってくださったことは記憶に新しいですが。
親日家の若者のことを台湾では「哈日(ハールー)族」といいます。彼らは日本が大好きで、日本のファッション誌を愛読して髪型や服装などを真似て日本人っぽくみせようとしているんです。それは祖父母が日本びいきで日本語を話す様子をみていたりという、彼らの育った環境にも要因があるのかもしれません。台湾ではいま、昔の日本と現在の日本の両方になじみのある世代が社会的に活躍する時期になってきています。東日本大震災に対しても「他人事」ではいられなかった人がたくさんいたのでしょう。いまこうしてつながっている関心が途切れることがないように、身近なところから、日本の文化を台湾に伝えたり、台湾の文化を日本に伝えたりできればと思っています。
Q:今後が楽しみですね。
私のまわりにも台湾は大好きだけれど本当はよく知らないという人が多いんです。たとえば、台湾の人は大の温泉好きで各地にはいい温泉がたくさんあるんですが、日本のガイドブックにはあまり載っていなかったり。私自身、訪れるたびにいろんな発見があるので、今後はそんな台湾の「ふうーん」や「へええ」を自分の言葉で紹介してみたいです。